1980年代

1980年代に入ると、『風の谷のナウシカ』(1984年)が大ヒットし、この後スタジオジブリを立ち上げた高畑勲や、宮崎駿らが2年に1本程度の間隔で『天空の城ラピュタ』(1986年)、『となりのトトロ』(1988年)などのオリジナル劇場用アニメ映画を公開し、好評を博した。

また、1980 年から毎年春休みにドラえもんの映画作品が公開されている(2005年を除く)。このシリーズは例年20 - 35億円規模の興行収入を果している長寿人気シリーズとなり、2009年現在も高い集客を得て新作が上映され続けている。

『機動戦士ガンダム(ファーストガンダム)』の劇場版三部作が1981年から1982 年にかけて公開されたのが話題を呼んだ。当初、機動戦士ガンダムは1979年にテレビシリーズとして放映されたが、不人気となり打ち切られた。しかし、再放送などで人気をさらに集め、劇場版の公開、さらにはガンダムのテレビシリーズの続編である『機動戦士Ζガンダム(1985年)』の放映にまで至った。1988年には更に続編となるアニメ映画『逆襲のシャア』も上映され、観客動員数100万人を達成している。

サンリオは1979年の『星のオルフェウス』に引き続き、『シリウスの伝説』(1981年)などで、大予算をかけて、1970年代に入って途絶えていたフルアニメーションによるアニメ映画を制作、海外市場に打って出ようとしてした。他にも1989年には日本アニメの世界進出を見据えた日米合作作品、『リトル・ニモ』が公開される。巨費を投じた意欲作であったが、興行的には全くの失敗であった。

1980年代半ばのビデオデッキとレンタルビデオ店の普及は、アニメ映画の製作にも変化をもたらした。オリジナルビデオアニメ(OVA)の興隆は、OVAを劇場アニメとして単館系で公開したり、逆にマニア向けの企画を一旦劇場アニメとして公開して、後のビデオ販売でも製作費の回収を計るというビジネスモデルが成立させた。その受け皿として短命に終わったものの、1989年に東京ではアニメを専門に上映する映画館「テアトル池袋」と「新宿・ANIMECCA」の 2館が誕生。これまで劇場アニメとして通用しなかった企画が、ビデオ販売を前提として通るようになる。また、OVAの存在は、これまでテレビアニメで下請け的立場に甘んじていた中小のアニメ制作会社がOVAの制作に乗り出すことで、徐々に製作能力を高めることを可能とした。Production I.Gもそんなスタジオの一つで、1980年代に出発してOVAの制作とテレビの下請けをこなしながら、 1990年代以降は劇場映画の制作で飛躍したのである。

2000年代

1998 年以降から2000年代初期の頃は、2000年は『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI』、2001年は『千と千尋の神隠し』など、劇場用アニメ映画が日本映画の興行成績の上位をほぼ独占している。これらの作品からは『ポケットモンスター』等数多くのヒット作品が誕生し、全米を含めて海外でも大きく公開されるようになる。1999年にアメリカで公開された『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(米題は"Pokemon: The First Movie")は、日本映画としては初めて「全米ナンバー1ヒット」となり全米年間映画興行成績トップ20にランキング入りを果した。同シリーズは2作目の『劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕』(2000年)も、興行収入4376万ドルを記録している[4]。他にも『ドラえもん』『名探偵コナン』『ポケットモンスター』のファミリー向け長寿シリーズは安定期に入っており例年2、30億円規模の興行収入、週刊少年ジャンプの連載作品を原作としたアニメ『ONE PIECE』シリーズなども、平均20億円規模の興行収入を挙げている。

また宮崎駿監督の『もののけ姫』(1997年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)は2作続けて日本映画の興行成績の記録を更新し、またアカデミー賞でオスカーを受賞したり、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞するなど世界的にも認められ、アニメーション映画は現在の日本映画を代表する存在となっている。

日本のアニメーション映画はヨーロッパやアジア各国では次々にヒットを飛ばしているが、アメリカでは現在のところ、日本の劇場用アニメ映画が興行的に成功した例は少ない。日本映画の全米興行で空前のヒット作といわれた先述の『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』でもアメリカでの興行収入は 8574万ドルであり、アメリカにおいて大ヒットの基準とされる興行収入1億ドルには及ばず、日本国内で最高の成績を記録している『千と千尋の神隠し』でも、アメリカでの興行収入は1006万ドルである。またアメリカでの日本アニメ映画は公開される数がまだまだ圧倒的に少ない上、1作あたりの公開される劇場数も、『ポケットモンスター』『遊☆戯☆王』などの例外を除き、一般的に少ない。一方で日本映画の全米展開として見た場合、アニメは実写や特撮と比較して規模が大きく、期待されるコンテンツ需要としての見方もある。実例として、実写作品では『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)が唯一アメリカで1000万ドルの興行収入を果たした最高記録であるのに対して、アニメ映画は5作品がアメリカで1000万ドルを突破している[4]。

2002 年に『Pia キャロットへようこそ!! -さやかの恋物語-』が公開された。これは史上初のアダルトゲームを原作とする劇場用アニメである。2004年には、押井守(『イノセンス』)、大友克洋(『スチームボーイ』)、宮崎駿(『ハウルの動く城』)と巨匠たちの作品が続いた。また、『APPLESEED』が公開前から続篇製作が決定するなど全体的に話題の多い年であった。ただ、このいずれの作品も国内のアニメ賞を獲得することは出来ず、その年の文化庁メディア芸術祭大賞作は『マインド・ゲーム』であった(毎日映画コンクールの大藤信郎賞も受賞、アニメーション映画賞は『雲のむこう、約束の場所』)。

2007 年に、1995年にTVアニメで放送された『新世紀エヴァンゲリオン』の再構築作品である、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』が上映された。製作方式や宣伝活動が自主制作映画のそれに近く、興行形態は単館系中心のものであったが、初日上映84館からのスタートで週間興行ランキングで1位を獲得している(スクリーン数100以下の映画では史上初)。2008年には蛙男商会、初の劇場最新作『秘密結社鷹の爪_THE_MOVIE_総統は二度死ぬ』がNY国際インデペンデント映画祭で、アニメーション部門_最優秀賞作品と国際アニメーション_最優秀監督賞の2部門を受賞した。

テレビアニメで人気を博した作品が映画化されるのは現在も主流だが、『ラーゼフォン 多元変奏曲』(2003年)、『劇場版灼眼のシャナ』(2007年)のようにメディアミックスの一環として映画化される作品も現れている。