アメリカ合衆国
20世紀初頭のアメリカ合衆国では、ジェームズ・スチュアート・ブラックトンが、アニメーション映画の先駆的作品とも言える、黒板に描かれたチョークの絵を用いた『愉快な百面相』(1906年、原題:Humorous Phases of Funny Faces)や、幽霊屋敷の怪奇現象をトリックにより再現した『幽霊ホテル』(1907年、原題:The Haunted Hotel)などのコマ撮り実写映画を撮影していた。
アニメーションの父ウィンザー・マッケイはブラックトンに触発され、寄席でのヴォードヴィル公演に使用する目的で、『リトル・ニモ』(1911年、原題:Little Nemo)等の短編アニメーション映画を製作した。これらの作品は映画館でも上映され、アニメーションの商業的利用に対する先鞭を付けた(しかしながら、マッケイ自身は商業アニメーションに対しては否定的であった)。また、マッケイの『恐竜ガーティ』(1914年、原題:Gertie the Dinosaur)に登場するガーティは、世界最初の個性を備えたアニメーションキャラクターとして評価されている。
前述のように、テレビが大衆化する以前にはニュース映画の前座として短篇アニメが大量に作られた。これらの短編から、世界中で広く知れ渡っているディズニーのミッキーマウスやドナルドダック、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーのトムとジェリー、フライシャー・スタジオのベティ・ブープ、ワーナー・ブラザースのバッグス・バニーなどの人気キャラクターが生まれた。
映画史上に残る偉業を数多く成し遂げた『白雪姫』(1937年)は世界初の長編アニメーション映画となった(ただし、アルゼンチンでは1931年にキリーノ・クリスティアーニにより長編アニメーション『ペルードポリス』が公開されている)。またディズニーは以降も名作の長編アニメーションを作りつづけた。
これらの詳細はアメリカン・アニメーションの黄金時代を参照のこと。
1980年代からはコンピュータグラフィックスによるアニメ製作が模索され始めた。ピクサー社のトイ・ストーリー(1995年)を皮切りに、3次元コンピュータグラフィックスによる劇場用アニメーションが数多く制作され始め、現在ではむしろ主流になりつつある。
ウォルト・ディズニー以外にアメリカにおけるアニメーションに大きな影響を与えた人物にテックス・アヴェリー(本名フレデリック・ビーン・アヴェリー)がいる。テックス・アヴェリー派というトレンドを作り上げ、エキセントリックなキャラクター、動きを得意とした。創作した代表的なキャラクターにドルーピーなどがあり、ジム・キャリー主演の映画『マスク』など後のアメリカ映画、アメリカン・コミックスに大きな影響を与えた。